就活失敗男の路線バス営業所おつとめ日記(ただいま休職中)

18卒の就活生でした。売り手市場と喧伝されているのを真に受けて就活を舐めた結果、秋まで内定先が決まらないという痛い目を見た挙句、入社してからは業務のしんどさとパワハラまがいの扱いをされて精神を壊してしまった失敗だらけの社会不適合者。今はとある路線バスの営業所で定期売ったり電話対応したり配車係の仕事をやって───いました。現在2回目の休職してます。営業所のお仕事日記を書きつつストレスや心の闇をぶつける暗いブログ

センチメンタリックになって沁みる母の優しさ

あれはまだ中学校の頃だったと思います。

JNMAという鉄道模型のイベントに、身分不相応に顔を出したことがありました。

どういうイベントなのか?というと、鉄道模型を扱うメーカーの中でも小規模なメーカーだったり同人サークルに近い形態で展開してる団体が集まって、製品やパーツの頒布を行うちょっとした即売会のようなものです。まぁ端的にわかりやすく書くと鉄道模型に特化したコミケだと思ってもらえるとわかりやすいかもしれません。

 

当時まだ、そういういわゆる「即売会」というものがよくわかっていなかった私はそこでちょっとしたチョンボをしました。

「これを欲しい」と告げたはずの製品と手元に来た製品が全然違うものだったのですね。

私の伝達ミスだったのか、向こうの受け渡しミスだったのか、これは都合の良いように覚えていません。でも商品を自分でつかんだような覚えがあるので恐らくは私のミスでしょうね。

モノは今でも覚えてます、バスコレというバスの模型の塗装替えに使うためのデカールでした。私が欲しかったのは「はかた号」に色替えするためのデカールだったのですが、実際に来たのは「どんたく号」というバスにしか使えないデカールです。

値段は確か500円。そこそこの経済力がある今なら仕方ないで諦めがつく値段ですし、即売会というものに対してのある程度の理解から割り切りもするでしょう、強いて言えば会場でしか買えないような貴重品や限定品の取り違えがあったとなるとムスッとするとは思いますが…。ま、後は「どんたく号」というバスもなかなか面白いバスなことに気付いたのもあって別に悪い物じゃないと思える……要は違うものをつかんだならそれはそれで興味を持てるような多様性?感受性?まぁとにかく懐の広さなんかも持てるようになりました。

ですが当時はまだ中学生、それも即売会というものがよくわかっていないクソガキとも言える存在です。そのデカールだけで500円というのに加えて、その会場までの交通費はだいぶ大きい負担に感じました。ある程度ちゃんとした組織でないと出展していないと思っていたことから、サークルへの信頼というのも根拠も無いのに全幅の信頼を置いていたような形でした。また、良くも悪くも「はかた号」というバスにゾッコンだった私にとって、違うバスのデカールというのは失礼ながら完全に「要らないもの」でした。(知ってる人間からすればはかた号もどんたく号も実はデザインは同じようなものなんですけどね…当時はちょっとの違いだけで完全に違うものだ!なんて思い込んでました。)

なので純粋に、思っていたのと違う商品を買ってしまったことや要らない物に安くない額を払ったことへの金銭的なショック・欲しい商品を買えたと思ってウキウキして帰宅し開封した時に違うものが入っていた落胆とも怒りとも言えないドカンと来た精神的なショックは計り知れないものがありました。

そんな時にどういうワケか、母が私の事を慰めてくれた上に、どうにか交換してもらえないかと模索してくれたのを今でもハッキリと覚えています。

確かショックのあまり私は家で「違うものつかまされた!」なんて怒ったような覚えがあるので、その様子が相当にお冠に見えたのか、心配で放っておけなかったのでしょうか、優しく慰めてくれた後にその製品の販売元へなんとか連絡を取れないかと、電話番号検索サービスに電話して、電話番号を調べた上で事情を説明して取り換えをしてもらえないだろうかと頑張ってくれました。

確か、サークル名と住所は入っていても電話番号やメールアドレスは全く入って居なくて、結局連絡は取れなかったんです。

その様子を見て騒ぎ過ぎたと反省したのか、落ち着いたのか、情けなくてこっぱずかしくなったのか、半分ふてくされるような形でもういいよ、と収拾をつけたはずです。

一連の話の中で、特に印象に残っているのが、母がそのデカールの頒布元のサークル名や住所から何とか電話番号を調べられないかと、NTTの番号検索に電話をかけてくれていたシーンがやたらと目に付いています。

 

話としてはこれだけなんです。息子がギャーギャー騒ぐので見かねた母がどうにかならないかと手を尽くしてくれた、と。

それに、この話は別にひょんなことから思い出して……と何か意味ありげな話なのではなく、今でも定期的に時々思い出す非常に印象深い出来事なんです。

なぜ印象深いのか、それは母がどれだけ私の事を思ってくれていて大切にしてくれているかを思い出したときに一瞬で伺えるエピソードだからです。

えっ?って思われるかもしれないですね。でも私には、やけに母の愛情や想いを感じる一瞬だったんですよ。

当時は何とも思ってなかった日常の一幕みたいなものだったのに、あとから思い出すと物凄く深いエピソードになるんだから思い出って不思議ですよね。深く伺えるのも当事者だった私だけ、それに本当はこれ以外にも母の愛を感じるような話なんていくらでもあるはずなんですが、まず思い出すのがこのエピソードなんですよね。少なからず自分の恥かいた場面でもありますし、自分の不手際で偉い迷惑かけたなぁという思いもあるがゆえに余計印象深いんだと思いますが…。

 

こんなこと書きたくないですが、母もそろそろ老いが見え始めてくる年齢になりました。一応まだ若者の私との感覚や動きの違いなどの行動面や、考え方や経験則の違いからくる思考面で色々とズレが出てくることもありまして、ケンカしたりすることがちょこちょこ増えてきました。たまに酷いことを言ってしまう時もあります。本気でイライラしてしまう時もあります。

それでも、母のことを大事に思っていることは間違いないです。

言い訳にしかならないですが、きっと私の心の中では、ただイライラしているから怒ったりするのではなくて、普通なら出来てることが出来ていないことが段々出来なくなっていること・遅くなっていることを認めたくないがゆえ……自分の母が老いを重ねていくことを認めたくない……もっと言えば、もしかするとだんだんと別れが近づいているかもしれない事実に気付きたくないがゆえに怒ってしまう節が無きにしも非ずです。

別れが近づいている…もちろん上の文の中では永遠の別れの意味合いとして使ってますが、直近の小さなイベントとして、私がいい年こいてようやく独り立ちするという、小規模な別れがもう近づいています。別れなんて言うとちょっと大げさかもしれませんが、それでも一つの別れになるのではないかと私は思っています。

これから一人暮らしをしていくこともあって、だんだんと一緒に居れる時間が短くなってきます。早い内から一人暮らしをしてきた同世代、そもそも幼いころに病気等で亡くしてしまった同世代も少なからずいるでしょう、そういう意味ではこの年まで私がずっと実家暮らしをしていて、母は専業主婦をやっていたという点でヨソ様の家庭よりかははるかに長いこと今まで一緒に居たわけですが、だからこそ母と別れて暮らすことが大きな変化になります。

正直、今の時点でも既に寂しい気持ち半分の、ずっと自分が一緒に居たのに居なくなるから大丈夫かなぁと心配な気持ち半分と言ったところです。

 

そんなセンチメンタルになっていたタイミングで、この話をふと思い出しまして、あぁお母さんは本当に優しい人だなぁ、といつも以上に心に沁みたわけです。

そんな優しい母のために、私がいなくても毎日幸せで楽しく過ごせますように、無病息災でトラブルなどにも巻き込まれず日々平穏に生きられるように、と心から祈ります。

そして何より昔から本当に情けねぇガキだ…と反省した次第であります。

 

 

ザコン?言っていただいて結構です。

自分の母親を大切に出来なくて何が家族だ、と堂々と言い返しますとも。