休職入ってからのカウントだと、今日で259日目になるみたいです。
1か月越えちゃったとか、100日目に入って3桁だとか、183日越えて半年越えたぁ!とかついこの前騒いでたような気がするんですが、気が付けば250という大台ですね。
まぁ退職自体はしてますので、シンプルに休職259日目じゃないんですが、そんなのは書類上とか世間的な扱いがそうなってるだけ。
事実上の中身として
「働いて無い期間」がもう259日目なんです。
そんなことをふと思って、今更になって自分は何やってるんだろうなぁ、と落ち込むときが今でもあります。
適応障害で休んでた頃にも時々抱えてた症状、というかメンタリズム的なアレですね。一般的な社会人や大人の取ってる毎日のルーチンから大きく逸脱してることへの自己嫌悪とか自責の念ってやつです。
なので、「何もしない」を続けることって実はとっても強い精神力が必要になるなぁと感じています。ニートや引きこもりは何もしない、働かないなんて見下されることが多いですが、個人的にはそれを続けてるのってある意味タフだと思います。
(あ、ただ何となく働きたくないとか学校行くのダルいからとかそういう人は別になりますね…。何か辛いことやきっかけがあってニートや引きこもりにならざるをえない方たちの事です、ごめんなさい…。)
社会的な立場とか将来の事考えるとそれ賢い選択か?なんて正論になるとややこしくなるんで、あくまで精神的な面でのお話ですが、周りから社会復帰やコミュニケーションを迫られたり強いられることがある中で、それをしっかり突っぱねる選択を出来るってなかなか大変ですよ。外部との遮断を続けるのもある意味では能動的な選択です。何より、そんな状態になるようなきっかけがあったワケで、それをキャパオーバーしてしまうまで一時的にでもしっかり耐えたワケですから決してバカにはできません。
自分みたいに人の意見や社会の風潮に流されっぱなしで仕事を任されても逃げ腰でやったフリ、辛いことがあっても自分が悪いと抱え込んで耐えることしか出来ない人間からすると強いなぁと思います。
ふてぶてしく生きる、ってのを目標にしてたりした時期もあり、その考え方のおかげで色々と楽になったこともあるのは確かなんですが、だからって「何もしてない」っていう事実が消えるわけじゃありませんからね。あくまで責任の擦り付けとか原因の押し付けとかをしてふてぶてしく……要は他責思考なんですが、そういう考え方に切り替えたところで結果や選択がそうなってしまったことを恨めるだけです。
「今こうなってしまったのは職場の○○さんのせいだ」っていう責任や原因はどこにある?弱い自分が逃げ腰になったせいなのでは?⇒パワハラまがいのことをして逃げざるを得なくした○○さんのせいだろ!ってすり替えなんていくらでも出来ます。でも「毎日ダラダラして何もしてない。」という行動をしている事実は別に○○さんへ押し付けられません。
まぁ契約や書類に関して、日取りの面以外でも色々とイザコザが起きてまして、そういったストレスもあってまたちょっと良くない方向にメンタル傾いてるなぁって感じです。
とりあえずですね、住宅契約に関してなまじ一家言ある父親が色々と契約書について指摘をし始めまして……、自分が一番なりたくないタイプのクソめんどくさいクレーマーになりかけてるのが一番の悩みのタネかもしれないです。
話を聞くと、確かに契約前に突っ込まないと後々モメるような不備があったのは確かなんです。だから父親の指摘は間違ってないんですが……気持ちの問題としてお互い和やかかつスムーズに契約してじゃあこれからよろしくお願いします!なんて話で終わらせたかったところがあるので…。
これも他責思考で考えるならば、「そもそもプロの不動産屋なら突っ込み入らないような契約書出してきてよ」ってところですかね。
なんか昔から相手の連絡待つのってなんか苦手なんですよね…。
それも何かの結果とかを教えてもらうの待つパターンの時とか。
相手に失礼な聞き方してないかなぁ、とかそもそも相手にちゃんと届いたかなぁ、とかこんなこと聞いて相手に手間かけたり面倒な奴だと思われたりしてないかなぁ、とか返ってきた答えが自分の想定通り、願わくば理想の答えだと助かるなぁ、とか色々考えちゃって。