自分は仕事が出来ないというのは今更言うまでもない、だからこそ少しでも出来るようにならなければ、というのは当然思っている。
そのためにも、まずバスの営業所で配車の仕事をやる上で何よりも要求されるダイヤ埋めに積極的に取り組んでみようと一念発起した。した、が…
空いているダイヤを埋めるためにあーでもない、こーでもない、と考える。
自分なりに考えるも、やっぱりいい案が浮かんでこない。
……いや、考えていないんだろう、途中から「これは自分には無理だ」と思考を放棄する。
そして誰かが助けてくれるのを心のどこか浅いところで待ち望む。
ある先輩が「この人とこの人のダイヤを入れ替えて、これとこれを組み合わせて……ってやれば埋まるんじゃないですか?」とアドバイスをくれる。
頭の中でシミュレーションする…うん、これ上手くいくな。
そしてまた自分の力ではなく他人の力で事態が解決したことに気付く。
いいや違う、何が気付くだ。最初からそのつもりだったろう。
他人の力でどうにかなるまで放置していただけ。考えているフリをして、さも自分もダイヤ埋めに貢献している「らしさ」を出していただけで、自分の力なんぞ解決にまったく寄与していない。自分のアイデアやヒラメキから事態が好転したわけでもない。本当にただやってるポーズを取っただけ、なんなら思考を放棄してポーズを取ってすらいない。
これが自分の頑張った結果である、心底クズである。わかっているのに、このクズさが治らない辺りはもう生まれついての何かなのだろう。
もう無理だ、自分はこの仕事をしているべきではない。
答えを出すために一分一秒無駄にできず、すばやく的確な答えを弾き出して、それを的確に指示を出さなければいけないのがバスの配車係というものだ。自分にはそのすべてが出来ていない。
ここは自分一人で答えを出せない人間が座っていていいポジションではない。
それでも座らなければいけないのだから、それに適応して能力を身に付けなければいけないのだ。
でもこのクズがどうして適応できようか。
どうすればいいんだろう、答えは2つもある。
この根っからのクズをどうにか叩き直して成長するか、諦めて辞めるか。
答えが出ていて、しかも2択なのだからどっちか選ぶだけなのだ。
しかしどっちも選択出来ていない辺りが本当にクズなのである。
成長できる気配も無ければ、迷惑かけ続けて大事件起こす前に退く勇気もない。