元来、コミュ力というものは高い方では無い。というか皆無に等しいだろう(皆無だ、と言い切らないのはせめてもの抵抗)
現実ではおろか、ツイッターのようなSNSですら他人と絡むことには抵抗がある。
コミュ力の低さゆえに、友達は多いとは言えないし人との会話も苦手だ。飲み会やカラオケのような集まり事は基本的に嫌い。就活も、たぶんこのコミュ力のなさと、そこから来る色々な経験不足で落ち続けていたのかもしれないと言われれば一理ある。
新人研修が始まって一週間、私はいまだに同期と馴染めないでいる。
同期がみな春・夏採用で入社式や事前研修(どこかへ泊りで行ったらしい)を始め、個人的な交友関係を持ち、大変結束が深まっている中で私は秋採用から加入した。
同期からすればいきなり現れた変な奴だし、結束に水を差したと思われても仕方はない。すでに仲のいい奴はいるわけだから、秋から増えた変な奴と仲良くしなければいけないわけでもない。その変な奴は典型的なコミュ障でアクションを起こさない・・・そりゃ馴染めないわけである。いや、それどころか同期に嫌われているし、コミュ力もなく一日を一人で過ごす私は笑いのタネになっている。
被害妄想?と自分でも思いたいが、どうやら妄想でも無いのが悲しいところ。
グループワークの際に「あいつモタモタしてる」と言われたりとある同期が「××ちゃん〇〇君(私)と仲良くしてあげてよw」と飲み会の場で持ち出したり・・・。
説明するべきことかはわからないが記載しておくと、トロトロしてると言ってきた子と××は同じ子だ。多分、同期の中で××氏は〇〇君(私)を嫌ってるというのが常識になっているのだろう。私自身、普段の態度や接し方を見ていたら嫌われてるな…と流石に気付く。
モタモタしてる~…と言われた時の場の空気の凍り方はトラウマレベルだった。「あのバカ、××氏を怒らせやがった…」そんな空気だった。怖い先輩がキレそうになってるとか、シャレを言ったらシャレとして通じなかったとか、あんな感じの「怒らせやがった…」な空気ではなく「うわ、とうとう〇〇君(私)を露骨に避け始めたな」と周りが察した感じだった。ヅラの人に対して「ヅラですか?」と聞くような、気になっても言わないし触れると面倒なのが同期間での暗黙の了解だったのだろう。
まぁ嫌われることはいい。私も××氏は嫌いだ。今後何かのきっかけがあったとしても仲良くできるとは思っていない。上の一件もあるしね。
小耳にはさんだ話によると××氏は我々より一つ上で、秋口からすでにアルバイトとして社内で働いているらしい。それでいて飲み会でのアルバイト経験があるらしい。
なんというか、一番同期とかにいると面倒なタイプなのはわかる。「私あなたたちよりいろんな経験しててすごいんです、みんなの中心になって然るべきだしこの場を仕切ります。」というのを鼻にかけるタイプで厄介なことこの上ない。
同期にいると厄介なの・・・?とピンと来ない人は、就活のグループワークでやたらトークを仕切ったり自分の意見を押し通す輩と当たってしまった時のこと思い出してほしい。あの感じだ。
んで
別に同期のこいつがウザいとか晒すような日記を書きたいわけじゃない。まぁここまで書いといて違うわけでもないのだが本題はちょっと違う。
同期とこういう関係になってしまっている現状が嘆かわしいのだ。
今後こういう馬の合わない人ともうまくやっていくことは社会人にとって何よりも大事なことなのだ。それを新人研修の段階からもう躓いている自分の情けなさが何より辛いのだ。
自分はなんでコミュ力が無いんだろう。
自分はなんで口下手なんだろう。
自分はなんで人に話しかけることが苦手なのだろう。
毎日研修が終わるたびに辛い気持ちになる。辛いから、じゃあ明日から切り替えていこうとも思うのだが、それで一発でコミュ力が付けば世の中みんな困らないのである。生まれついての遺伝のようなものなのか、生きてきた環境が悪いのか、ただの甘えなのか、深刻な対人経験値の不足なのか。
うちの親はコミュ力は高い、というかなんでこの親にしてこんな子になってしまったのだろうと己のふがいなさで情けなるぐらいにコミュ力を持っているので遺伝では無いのは確かだろう。
・・・なんて考察したところで答えが出るわけでもないし、答えが出たらそれをもとに治せるかなんていうのは春の夜の夢の如し。
こんな人間になってしまった以上しょうがない、甘んじて受け入れるしかないのかもしれない。
こんなんで社会に出て良いのだろうか。会社という場所に自分は耐えられるだろうか。
新人研修ですら辛くて毎日死にたい辞めたい逃げたいと思っている自分が仕事に耐えられるだろうか。
世の中、楽なことばかりではないし嫌なことからずっと逃げるわけにもいかない。厳しいものだ。
改めて、今まで働き、自分を育ててくれた両親の偉大さが染み渡る。
たった一週間で何もかも投げ出したいと思っているのに、いままで何十年も働いてきているのだ。ただただ、感謝の気持ちを述べたいし、お疲れ様と心から労いたい。