以前もどこかで書いたかもしれないが、就活も終わり、出なければならない講義もなく、別段バイトしているわけでも、盛んな人付き合いがあるわけでもない典型的な陰キャの自分は、大変に暇を持て余している状態が続いている。
もちろん、やらなければいけない事はいくらでもある。就職先からもらった就業前課題であったり、様々な片付け(文字通りの意味であったり、以前からの悩みを解消したり・・・)をする必要があったり。本当の意味でやることがまったくないという意味では無いのだが、しかし暇なのである。この辺の「暇」のニュアンスを上手く伝えるのは難しいが、なんとなくの感覚でいいので捉えてもらえれば幸いだ。
こうして今、暇であることに悩んでいるが、この悩むほどの暇が数ヵ月後には、喉から手が出るほど欲しくなるものだと思うととても複雑な心境だ。
働いてしまえば、丸一日はおろかまとまった休みを得る事すら難しくなる。しかし今の私はそのまとまった休みを持て余している。なんと贅沢なのだろう。
以前、なにかのサイトでこんな文章を読んだ。
『若い内にはお金が無いが休みがある、体力もある。
働くようになればお金はあるが休みがない。
退職すればお金はあるし休みもある、でも体力が無い。』
どこで生まれた言葉なのかはわからない、しかしこれから40年もの就労が始まる(40年も勤まればいいが・・・)身にとっては実に重い言葉だ。
この4月入社を控えた今、お年玉だのお小遣いだので少なからず財布が肥えてる今、お金もあるし休みもあるし体力もあるという状況だろう。
何かを、全力で楽しみたいという思いは強い。
それもあって、暇である現状が少し辛かったり苦しかったりする。
(じゃあ楽しめば?と言う話なのだが、その「楽しむ」ことでお金を浪費することへの恐れだったり、一人〇〇をする悲しさが強く、一歩を踏み出せないのだ。提案をすればノってくれる友人は何人かいるだろう、しかしみなもまたそれぞれの生活があったりして中々上手く噛み合わないもどかしさがある。)
しかしあえて、暇に苦しむというのもまた今しか出来ないのかもしれない。
人に迷惑をかけない範囲で食っちゃ寝のダラダラ生活を、今こそ謳歌するべきなのかもしれない。