就活失敗男の路線バス営業所おつとめ日記(ただいま休職中)

18卒の就活生でした。売り手市場と喧伝されているのを真に受けて就活を舐めた結果、秋まで内定先が決まらないという痛い目を見た挙句、入社してからは業務のしんどさとパワハラまがいの扱いをされて精神を壊してしまった失敗だらけの社会不適合者。今はとある路線バスの営業所で定期売ったり電話対応したり配車係の仕事をやって───いました。現在2回目の休職してます。営業所のお仕事日記を書きつつストレスや心の闇をぶつける暗いブログ

祖母がグループホームへ入所しました

何というか、自分の祖母がそういった「施設」でお世話になるという現実が未だにちょっと信じられません。

 

それだけ長生きをしたというのは確かなんですが、一方で自分の祖母がそういった物のお世話になる事はあれど、完全に身をゆだねることになるとは思ってもみなかった、というのもあります。

数年前まではとてもしっかりした人でしたので未だに信じられません。

確かに足腰は弱くなってきているのはありました、もう15年ぐらいは祖母と孫でお出かけするなんて体験はさせてあげられてません。

3年前、祖父が亡くなりました。その少し前ぐらいから時々頑固になったり怒りっぽくなったりして、それまでしっかりしていた祖母とは何かが変わっているような、ちょっと怪しい兆候がありまして、まぁ最初のウチは年を取ればそうなるよね…ぐらいだったんですね。それが祖父の死を境に割とわかりやすくなってきました。それと同時に先に書いた足腰の弱りから出歩く機会もだいぶ減ってしまい、心身共にめっきり弱ってしまったような感じがします。そして徐々に認知症の気配が見えてきました。

よくケンカをしている夫婦でしたが、それはそれで仲がいいというか、かえって張り合いがあってよかったのかもしれませんね。

よく言われるのが、足腰が動かなくなってくるとボケてしまうとか、配偶者が亡くなると途端に元気がなくなるとか、今まで聞いてはいましたが、実際にそうなっているのを見るとこれは事実なんだな、と感じました。

そしてついに、医師の診断等諸々から、こういう施設に入所することが望ましいという判断となりまして、グループホームへ入所する運びとなりました。

 

グループホームへ入所したことは正直気持ちの面でまだちょっと整理がついていないのですが、ただ一つ確実に言えるのは、私はこの年になるまで長生きしてくれて嬉しいな、というのがシンプルな想うところです。そして、可能であればひ孫も見せて上げられれば……と思いつつもそれが出来ていないことに心が痛みます。孫のお嫁さんとか、きっと見たいと思っているでしょうに、こんな出来の悪い孫なせいでそれが困難というのは本当に心苦しいです。

 

さて、今回入所したのは老人ホームではなくグループホームというものです。

介護的な面での世話を全般的に見てくれるのが老人ホームで、認知症ケアに特化しているのがグループホームというものらしいです。また何十人が入居するわけでなく、5人~9人ぐらいのみが入居した小規模で家庭的な施設なのもまたグループホームの特徴なんだとか。

 

祖母のためを思えば、バリアフリーが整っているとは言えないが馴染み深い自宅で生活を続けるのが良いのか、24時間誰かがパッと見に来てくれて環境も整っているグループホームに入居するのが良いのか、それはわかりません。

生活のしやすさとか、何かあった時の事を考えればグループホームが良いのは確実なのです。私や父の住まいは祖母の自宅からは離れておりますので、いざ呼び出されてどんなに急いでも私は1時間ちょっと、父に至っては3時間以上の猶予が欲しくなります。

 

一方で、やはり馴染み深い自宅を空にして施設へ入れるというのは何とも心情的に辛いものがあります。孫の私ですらそうなのですから、決断を下した父は表に出しませんが、きっと相当に苦しいものがあると思います。祖母のためと言いつつも、見方を変えれば、面倒を見切れないから施設に入れて任せっきりにしたというのも同然ですからね……。

 

わかってるんですよ、グループホームに居ることが理屈の上では良いんです、自宅で過ごさせてあげることは感情面のメリットしか無いんです。

グループホームで面倒を見てもらうことの方がきっと祖母の身にとっても負担が減って楽なんですよ。

でも、幸せなんでしょうか。

わかんないです。

 

 

祖母が入所して空になった家で一晩過ごしました。昔から雰囲気がずっと変わらないなぁ、と思いつつ細かいところで家具とか手すりとかが介護仕様のものになっていたり、介護ベッドが鎮座していたりして、あぁ、あの頃の元気な祖父母の暮らしてた家とはもう違うんだなぁ、という妙なノスタルジーのような物を感じました。

そして家の主がいなくなったことで急に家が変わったような感じがしました。

居るべき人がいないことの違和感なんだとは思います、ただ一方で家自体の佇まいが変わってしまったような、そんな感じだったんです。

家もきっと長いこと住んでいた人が離れたことを察したのかもしれませんね。

悲しんでくれているのかもしれませんし、そんなことより家のお手入れや掃除は誰がするんだ、なんて思っているのかもしれません。

祖母がこの家にまた帰ってくることは………あると信じてます。

 

 

正直みんな薄々……というかはっきりと感じてるんですよね、口では一時的にお世話になるだけとか、帰ってきたときのために…とか色々と言ってるんですけど、きっとその可能性は低いのかなぁ、と。それもパーセンテージで言えば一桁……いえ、一桁っていう見積もりももしかすると高いのかもしれません。

私も、感じないわけじゃありません。現実としてもう厳しいであろうことはわかっています。でもやっぱりね、帰ってきて欲しいわけですよ。

だって絶対自宅に居る方がいいですもの。もしかすると自宅に戻りたい一心で病状が奇跡の回復を起こすかもしれませんし。人体のことなんて、ましてや脳のことなんてロクに解明されていないわけですからね。

 

またあの家でおばあちゃんに会いたいです。

あの家が居場所であるべきなんだと思ってます。

感情でしか判断してません。やっぱ理屈の上で良い選択をしたからって簡単に割り切れないですよ。

 

昔は普通に見れた光景が頭から離れないです。

私が着替えやお土産を詰めたリュックサックを背負って訪ねるんですよ。夏休みとか冬休みとかにね。そして玄関をガラガラッと開けて居間へ進みます。するとまず目に入るのは祖父が今に置いてある黄色い座椅子で横になって居て、居間の扉が開いた瞬間にこっちを嬉しそうに見てくれるんです。居間の奥に台所がつながっているので台所へ目をやると祖母が何か家事をしていて……っていう光景なんです。

別になんてことない光景なんですよ、ただの帰省の一幕なんです。でも一生忘れません。

 

時間ってもう戻せないんですよね。

でも時間は切り取れるんですよ、動画や写真で。

そのことに気付くのが、私は遅すぎました。

写真はいくらか撮ってあるんですけど、動画を全然撮っていない事をちょっと後悔しています。

祖父母が元気なころの、あの懐かしい声を記録しておけばよかった、と悔やむばかりです。

だから祖母だけでも、今から出来る限り記録を残しておこうかな、と思います。

本人は嫌がりますかね?嫌がるだろうなぁ。

勤労「へ」感謝する日(?)

勤労できることに感謝をする日なのでしょうか、それとも勤労してくれる立場の人へ感謝をする日なのでしょうか

 

まぁ何にせよ祝日なのですが、私は午後より役場の仕事が入っているためお仕事になります。

まさに前者の、勤労できることに感謝をする立場になっております。はぁ…。

まぁ午後半分だけなのでまだいいですけどね。どうせ何かする予定があるわけでもありませんでしたので……そういう意味では、平日にただ手伝いをしつつ半休を付与されるならオイシイかも?なんてちょっと考え方を切り替えてみます。

 

ただ休日を有効に使うという意味では正直午前半分で解放されて「さー午後は何しようかな」なんて立ちもしない予定を無意味に練るのが好きなのです。

午後半分だと、午前中はその準備してたら終わっちゃったり、(午後から仕事だからあまり好きに動けないな…)なんて遠慮が働いちゃってダメなんですよね。

こういう時でもテキパキ動いてやりたいことを全部こなすのが一流の大人ってやつなんでしょうけど……。

うーん、趣味の旅行をしている時なんて、旅先でやりたいこと全部こなすようなテキパキさだけは自信あるんですが、それがどうにも日常生活や業務面で反映されません。本当に好きなことやるときだけ全力なんだな、って感じでちょっとお恥ずかしい限りで。

 

あー、なんか例の嫌な先輩に色々言われたこと思い出してきました。

嫌なことから逃げ続けてきた人生でしょ、っていう例のあの一言ですが……言い方やニュアンスをちょっと変えれば、『お前好きなことしかやらないよね』っていうのをオブラートに包んで……いやあんまり包んで無いですけど……まあそういう意味合いでぶつけてきたとも考えられますね。

そういえば、その嫌な先輩からある先輩に対して「あの人自分の好きなことしかやらねぇからなぁ」って言ってたのを思い出しました。その時は、あぁこの人はあの人のことをそう見てるんだな…としか思わず、たいして気にも留めてなかったんですが、ここで何となく点と点が線でつながったような感じがしました。実につながってほしくない線ですね…。

一年半近く経った今までこれに気付かなかったんですが、そういう解釈も込めてぶつけられた言葉だったのかもしれません

 

自分にぶつけられた嫌味を、あえて振り返ってみてその意味や背景を考察する実に陰気臭い遊びをしてみるのもたまには面白いかもしれません。

いや何も楽しいことは無いですけどね。

なんか妙にセンチメンタルな気持ちになった夜

年末も近づいて心も寒くなってるのでしょうか、それとも少しずつ心が疲れているのでしょうか、自分の過去の経歴的なところや最近の色々な考えの巡らせかたからして恐らくは後者かなぁ、と思うのですがそれはさておきまして…。

 

最近ちょっとセンチメンタルになる出来事がありました。

ある夜、スマホで何気なくネットサーフィンをしていた時の話です。

何気なく趣味の事を調べている時にとある個人サイトにたどり着きました。

今の時代、みんなツイッターやその他SNSで情報をアップしてまとめることも無いので、今でも動いている(更新は止まってることが多いですけどね…)個人サイトを見るのは結構楽しかったり。

楽しいなんて言っても、その趣味に関するページを見れれば十分だったのでその辺を適当に泳いで満足していたのですが、今の時代にも残ってる個人サイトってどんなトップページしてるのかな、なんてふと気になったり。

もし今でもこまめに更新してたりしたら、どんな内容アップしてるんだろう?とちょっと関心を持ったりしました。最終更新日とか更新履歴みたいなの、よくトップページにこまめに記録してたりするよね…なんて思いながら探してみると最終更新日が2023年の1月ごろ、おっ、最近まで動かしてるサイトじゃん!なんてちょっと嬉しくなったり。

そして他にどんなページがあるのかなぁ?なんて色々拝見すると、愛車やキャンプのページがあったりして、本当に古き良き個人サイトって感じで素晴らしかったです。

そしてブログのリンクも貼られてたりしました。

あー、ブログ!そうそう、個人サイトのつきものよねぇ!まだ更新なさってるのかしら?でもこういうの、ツイッターに移行してて大概はずっと昔に更新止まってるのよねぇ…なんて思いながらこちらも拝見すると2022年ぐらいで止まってるようで、あぁ、やっぱり…と。

 

ただ、ふと記事のタイトルを見てみるとその止まった理由も察せました。

不定期ではあるのですが、愛犬と過ごした日常を綴っていたようです。

そのブログの最終更新の記事を読むと、愛犬が亡くなったとのことで、その弔いの内容でした。

そうか、愛犬との記録を残すためのブログであって、愛犬の死と同時にそのブログもまた止まったんだな…と思うとなんだか心にくるものがありました。

本当に、偶然ふらっと立ち寄っただけのサイトで、それも場合によってはまったく気付かなかったであろう内容ではあるんですが、色々なめぐり合わせでその死に触れることでとてもセンチメンタルな気分になると同時に、この犬の死に自分まで悲しくなりました。

 

 

上にも書いた通り、趣味の検索の一環でたどり着いたわけですが、そんな中でも普段はなかなか調べないようなワードで検索してたどり着いたという偶然の偶然の出会いなんですよね。

そしてインターネットをやっていなければ確実に一生知りえなかったであろう情報ですし、一生巡り合うことの無い方でしょう。

何かのタイミングの違いだったり、自分のふとした行動が無ければそもそもたどり着かなかったサイトかもしれません。

インターネットさえ無ければ本当に何の接点も無い、見ず知らずの誰かの犬の死で自分も悲しくなることが何だかとっても不思議な感じです。

身分や年齢、立場など関係なく情報を発信することができ、またその情報を同じく受信することが出来る今の時代ってすごいなぁ、と何だか変なところで改めて実感した次第です。

一週間が長く感じます

ま、珍しく愚痴というか変に人生観の悩みとかじゃなくて身近な悩みみたいなものぶつけようかな、と。

 

今週は一週間が長く感じます。

まず次の土日に実家に帰るのが楽しみというのが理由の一つです。

あ、また例の実家大好きコンプレックスですか…と思いますよね、半分正解です。

ただもう一方で、遊びじゃ無くてやらなきゃいけないことがあってちゃんと真っ当な理由で帰れるのが嬉しいのが残り半分のまた半分、そして色々と買いたいものがありまして、それを買いに行けるのが最後の残りですね。

 

 

まぁ、今更言うまでも無いんですが、自分のスタンスは割かし田舎を見下して都会を持ち上げるスタンスなのは言うまでもないですね。

そしてその言い訳に「自分の生まれがあっちなんだから、あっちは良いところって話するのは当たり前では?」っていう考えを持ってるのもまた言うまでも無く。

そんなスタンスの自分から言わせてもらえば、こっちは満足に趣味の買い物が出来なくて困るんですよね。

通販できる品物であれば、それこそ都会に顔出してわざわざ買い物することで都会人気取りたいだけのヤツ、ってことになるんですが、通販で扱ってない店舗限定品とかニッチな品物はどうしてもお店に買いに行かないといけません。これ普通に困るんですよね。

まぁ、所詮趣味の品物ですよ?無いなら無いで生活に困るのか?面倒事が解決できるのか?って突き詰めちゃえばNOなんですね。ただ、逆に言えば趣味の品物だからこそ欲しくてしょうがない、必要でしょうがないわけです。理屈や手間を考えて生活にあった方がいいみたいな合理的な理由で探してるワケじゃなくて、もう「欲しい」とか「持っておきたい」とかそういう物欲的な感情だけで動いてるからです。

そしてそういう趣味の品物、っていうのはたいていが東京にお店があるわけですね。

まぁ後は大阪とか名古屋とか、それでもやっぱ東京にしかない、ってことが多いですよね。

そういうお店が乱立してるやっぱり東京は凄いなぁ、って思います。

そして地方の若者が東京に憧れるのも、こうして地方に住んでみてわかるんですよね、やっぱ生活の質が違います。出来る経験も多分段違いに多いです。

日本の将来とかそういうデカいスケールの話をしてみれば、東京一極手中ってのは良くないんでしょうね。でも実際やっぱならざるをえないなコレとは思います。なんでも東京に集まりすぎですよ。物価や家賃を考えたら暮らしやすいかと言われれば微妙なところですが、それを置いても生活の質の高さを考えればやっぱ暮らしたくなります。

 

……重ね重ねになりますが、都会持ち上げの田舎見下しな立場の人間がさも中立を保って書いてるだけだけの感想なんでだいぶ偏った見方だとは思います。

実際田舎じゃないと出来ない体験っていうのは多いと思いますよ。

ただ自分は少なくとも、それは都会で出来る体験と比べてどちらが身になる?楽しい?みたいになるとどうしても……と思います。モノがある、店がある、何よりヒトがいる、って土壌があると出来ることは違って来るなぁ…って。

自分はこの先数十年もこうなのかな?と考えてしまうとき

ここのところあまり更新が無かったのはちょっと色々思うところがありまして…。

まぁ自分程度の人間の思うところなんていうのはたかが知れてるんですが…。

 

働き始めてはや半年以上は経過し、こちらへの引っ越し計画が本格的に決まってから(というか内定をもらって受諾する以上は引っ越しが必須なのが確定したタイミングからすれば)もう1年経って、ようやく生活が落ち着いてきたかな、という印象です。

 

そんな中で最近ふと思うのが「自分はこれから老いるまでずっとこっちでこの生活なのかな?」なんてことですね。

前にもちょくちょく書いてる『自分が自分じゃないような感覚』『自分が何かの役割を演じてるような感覚』の延長じゃないかと思ってます。

さらに別枠で『短期間だけこっちでお試しで働いている感覚』もちょろちょろと湧き出てるなんて話もしましたが、あれも相まって、まーた変な感覚というか気分になってしまってるなぁ、と。

 

いや、まぁ、自分がこれから先どうなるのか?なんて今の時点で予想や想定をいくらしたところで意味がない、ってのはわかるんですよね。

自分だって前の会社に定年までずっと居ることになるかもしれない、なんて最初のウチは思ってましたからね。

ただ、それはあくまで働き口とか労働スタイルに関する予想に重きを置いていた節がありまして。

要はですね、仕事は置いといて「自分がこれからアラフォーだ中年だと呼ばれる年になってどこでどうやって住んでるかな?」っていうのを予想した時に、「えっ、もしかして自分ずっと地方で独り暮らしすることになるのか?」っていうのが浮かぶとちょっとした絶望感出てくるといいますか。

 

前の会社に居た時、上記のように会社にずっといるかもと思いつつも、何だかんだでやっぱりどっかで転職するんだろうなぁとは内心思ってました。

でも家を出るか?というところについては全く考えていませんでした。まず実家から通える範囲の会社に転職して(というか交通の便がいいのでよっぽどで無ければ通えますからね)、どうしてもという時はやはり都内をはじめ実家近辺のどこかで独り暮らし…その気になれば別に何時でも普通に帰って来れる距離感の場所に居を構えるんだろうなぁ、と思ってました。

 

まぁ長いこと住んでれば住めば都とも言いますし、愛着や帰属意識が当然出てくると思うわけですが、やっぱり自分には都心がホームタウンみたいな気持ちが強いんですよね。

都会かぶれとか田舎見下し…みたいな気持ちが無いと言えばウソになると思いますが、やっぱり東京都内っていうのは生活拠点としても遊びの拠点としても自分が一番長いこと過ごしていた場所ですし、何よりいわゆる「青春時代」っていうのを謳歌した時でありますから、思い入れがものすごく強い土地なんですね。

そういうところから、都会かぶれと歪んだ郷愁みたいなものが合わさって偏屈みたいな思想になっている節はあると思います……。

 

んーと、自分の未来の事とか色々考えると頭の中ぐちゃぐちゃになってくるんで変なところですが一回切ります。

 

ボーナスが近いと無駄に気が大きくなる感じ

ボーナス……いくら貰えるんだかわかってませんが、少なくとも10万や20万は貰えると思うんですよね。

んで、別にボーナスまであと1か月以上あるわけなので、別に近くねぇじゃん……って話ではあるんですが、大人になるとボーナス日まで支払いを待ってもらえる素敵なカードを持てるようになるわけでして…。

はい、締め日の翌月10日払いタイプのカードですね。

 

つまりですね、今多少大きな買い物しても、支払いはボーナス支給日に一気に引き落とされるワケですから、普段より大きな引き落とし額になっても問題はない、と。ということは現状で既にボーナスをあてにした大きな買い物したって問題ないのでは?というものすごいダメな思考回路になっているわけです。

 

そんなわけで、まだ手にしてないどころか、そもそも貰えるのか?貰えるにしたら金額はいくらになるんだ?というのが何一つはっきりしていないのに、既に若干気が大きくなってるというか、財布のひもがだいぶ緩んでおります。

 

ただ冷静に考えてみましょう、実際のところ真面目にいくら貰えるであろうか計算してみるとそんなに大した金額が貰えるわけでは無いんですよね。今後の生活費のアテのために貯金しておくこと考えたら、ボーナス貰って豪遊するなんてことはまず出来ない金額なんです。

しかもボーナスは半年に一回ですからね、なんか3か月に一回は貰えるような感覚で消費しようとしてますけどそんなことありませんからね。

ちょっと意識を改めるというか、お財布のひもを引き締めないといけません。

 

 

……でもやっぱ一度緩んじゃうと戻せないんですよねぇ…

ここのとこ食費がやたらかさんじゃって……

 

今日は楽しい研修です。

今日は研修のため、役場に行く必要がありません。

役場へ登庁して会場行き、またその逆の会場から役場へ戻るのが時間的に勤務時間をオーバーするため、直行直帰です。

しかしながら、自室から会場までは役場へ行くよりかは時間がかからない距離というのに加えまして、開始時刻が9時30分ごろという、そもそも普段の始業から一時間近く遅いのでだいぶゆっくりできます。

いやぁ、最高です。毎日研修で良いですね。

話の内容は基本的につまんねぇですが、これで金貰えて普段より出退勤早いんだから……と研修も割り切っちゃえば楽しいもんです。

 

と言ってものほほんと研修受けてるわけにはいかず、何をやってどんなことを学んだか、どんな感想だったか、という「復命書」を書かねばなりませんので、実際中身に関してはちゃんと復命書を残すためにメモ取ったりアンテナを高く張ってないと行けないためそれはそれで面倒なのです。楽しいだけでは無いんですね…。

 

ま、それはさておきまして、実際普段の仕事よりは精神的にも肉体的にも楽です。

ウチに帰ってくる時間は普段と変わらなくなりそうなんですが、朝ゆっくりできるのはこんなにも嬉しい物なんですね……。

 

 

うーん、こんな研修一つで浮かれてる記事、後々振り返ってみた時に若いなぁ、羨ましいなぁなんて思うのでしょうか?それともその程度で浮かれてたのか…なんて思うのか。