就活失敗男の路線バス営業所おつとめ日記(ただいま休職中)

18卒の就活生でした。売り手市場と喧伝されているのを真に受けて就活を舐めた結果、秋まで内定先が決まらないという痛い目を見た挙句、入社してからは業務のしんどさとパワハラまがいの扱いをされて精神を壊してしまった失敗だらけの社会不適合者。今はとある路線バスの営業所で定期売ったり電話対応したり配車係の仕事をやって───いました。現在2回目の休職してます。営業所のお仕事日記を書きつつストレスや心の闇をぶつける暗いブログ

今日は私の誕生日である。でも何も嬉しくはない。

人に祝ってもらえる権利は自分にはない、そう思っているからだ。

だって仕事はできないし周りに迷惑はかけるし、そんな人間がなぜ祝ってもらえるのか

 

今までは誕生日と言えば少し特別感があって嬉しかった。

日付が回った直後にちょっといいモノ食べたり飲んだり、お待ちかねにしていたゲームや漫画を開封したり、朝起きたら「今日は誕生日だから」と母親から至れり尽くせりにしてもらったり…。でも今年はそんな気持ちになれない。

 

誕生日になって最初にやることってなんだか特別感があると思う。xx歳になって最初にやったのはコレで~…というのはxx歳になる上での意気込みとか豊富とか、そんな気持ちが少しこもってたりこもってなかったりする。まぁ要するに何かの区切りを挟んだ後にやる最初のことっていうのは特別感があるという話だ。

じゃあ今年の誕生日は何していただろうか。

誕生日になって最初にやったことは会社から帰るために終電に乗ることだ。

それも仕事をキッチリ終わらせての終電ならいいのだけど、会社でミスを連発し先輩たちにボロクソ怒られ、次の日(誕生日)の出勤でその尻ぬぐいをしなきゃいけないというダブルの重い気持ちで乗っていた。帰りの道中で何度泣きそうになったかわからないし、この記事を書いている今だって己の無能さに涙が出てくる。

自分は社会に適合しない人間なのかもしれないと本気で思った。働かない言い訳とかでなく、本当に社会や労働に対して適合していない社会不適合者なのかもしれない。会社やお客さん、ひいては社会全般に迷惑をかけるぐらいなら本当に働かない方が社会のためなのかもしれない。

 

両親は私の誕生日を祝ってくれている。それは本当に嬉しいし感謝する反面、悲しくもなる。

そんなに祝う価値のある子供じゃないんだよ、という気持ちで心が苦しくなる。

もう少し晴れやかな気持ちで誕生日を迎えたかったなぁ・・・

 

また、逃げたいという気持ちが溢れてきてる。逃げ癖がつきはじめてる。

でも危ないと思った時には逃げないと取り返しがつかなくなることだってあるかもしれない・・・。

おふざけは無しで、本当に鬱病かもしれない、でも病院に行く時間が無いし、本当にそう診察されたら今後どうなるかわからない不安で怖くなってくる。

それに、今後何かあったら鬱病を免罪符に何でも逃げてしまいそうなのがもっと怖い