日曜の夜は明日の仕事のこと考えると憂鬱だ~!!!
というのはもう散々使い回されたネタでして。
最近毎日暮らしていて思うのは、「いま、自分がこうして暮らしてることが何だか自分の事じゃないような感じ」を毎日感じています。
これも何か前に書いたような気がするネタですが……まぁ最近改めて強く思うようになったので良いでしょう。
何より、人に読ませる気は一切ない自分の備忘録的なブログですからむしろこの時とあの時と同じようなこと考えてんなこいつ…と振り返るためには書いといた方が良いのかもしれません。
えぇっとですね、まぁ繰り返しにはなるんですが、今こうして一人暮らしして公務員になって、車まで買っちゃって、毎日地味に赤字で今後生活ヤバくない?なんてちょっと笑えない状況だったりしてるワケですよ。
言うまでも無く当事者は私になるわけですが、どうにも自分にその当事者であるという実感というか認識みたいなのがイマイチ湧いていないんですよね。
一人暮らししてる状況があまりピンと来てないですし、車を買って毎日運転までしてるわけですが、どうにもまだ自分の手に馴染んでないというか(使い勝手とかではなく、マイカーを持っているという状況に対してって感じですね。)
まるで何かのお芝居の役割を演じてるような、そんな感じなんです。
自分の生活環境が一瞬でガラッと変わったというのは大きいと思います。あまりに変わり方が大きすぎたせいで、「新しい自分」がまだ定着していないんだとは思うんです。
だから「自分」の中にはまだ、勤め先はどこなの?ってなるとバス会社で働いてる自分が色濃く残ってるわけです。
これに加えて、何度も書いてる通り積極的選択で決めた道ではありませんので、地方で暮らして地方で仕事している事へのちょっとした拒否反応なんかも起きてるんでしょうね。
更にはこまめに実家へ帰っている影響もちょっとあったりするのかな、って思います。
つまり「自分」はまだ都会暮らし&都会で働いていて、これはあくまで仮宿のような暮らしをしているだけ、本当の自分ってその都会暮らししてる人格なんじゃないの?っていう、そんなズレというか現状を上書きできていないというか、そういった感じです。
朝の通勤で誰もお見送りがない時、仕事中にふっと余裕が出来て周りを見渡した時、誰もいない部屋に帰ってきた時、今までまず自分でやろうとしなかった洗濯やアイロンがけをやっている時、その「感じ」がするのは様々な場面です。
本来であればこういった変化を前向きに受け止めて「あぁ、今自分はこんな暮らしをしているだなぁ!」と明るく受け止めるのでしょうけど、自分は逆でして「あれ、自分はどうしてこんな状況になっているんだっけ……?」と今までの転落人生っぷりを一瞬の間に想起します。
このレベルで転落人生?なんて言われそうですが、それはあくまで表現上のお約束だと思ってください。
本当の意味での転落とは思っていませんが、都落ち的なニュアンスだったり、自分の中でのプライド的なところでは転落したと思ってますんで。
そして本来であれば「どうしてこんな状況に?」なんて思ったところで、あぁそうか自分はもうこうして生きる道を選んだんだっけな、と咀嚼して飲み込んで受け入れるんでしょうけど、自分は一向にそれが出来そうにありません。
「まぁでもいつかもっといい感じになるでしょ」的な甘っちょろい考えが正直あります。
「いつか自分はまた都会で働くんだ」と。
まぁ都会で働くんだ、ってだけなら田舎で東京を夢見る青年みたいで可愛いモノなんですが、自分の言う『都会で働く』って、都会に実家を置きつつ、自分は実家から職場に通って毎日少なからず楽に生活しつつ家賃もかからないからお金もそれなりに使う余裕あって……みたいなそういう本当に社会を舐め腐った考えなんですね。
それでも私がコテコテの地方出身者で一度味わった都会の味を忘れられなくて、って言うのなら都会コンプレックスをこじらせた面倒なヤツ、として終わるんですけれども、私の場合は生まれも育ちもずっと都会でしたし、生活水準から人間関係、もちろん実家も都会にあるわけですから、一概にコンプレックスをこじらせてるというわけでもないのがまた複雑でややこしくしています。ものすごくタチの悪いホームシックとでも言いましょうか。
そんなわけで毎日何だか自分が自分じゃ無いような、不思議な感じを味わいながら生活しています。
今の生活や仕事、環境などは間違いなく自分のモノであって自分でやらなきゃいけない事なんですけどあくまでそういう役割や立場の人物を演じてるだけみたいな、自分に自分じゃ無い何かが重なっているような、自分のやっている事なんだけど自分でしている事じゃない感じというか、本当に何かフワフワしているともズレているとも言えそうで言えない、妙な感覚です。
………これまた変なメンタルの病気じゃないでしょうね。