就活失敗男の路線バス営業所おつとめ日記(ただいま休職中)

18卒の就活生でした。売り手市場と喧伝されているのを真に受けて就活を舐めた結果、秋まで内定先が決まらないという痛い目を見た挙句、入社してからは業務のしんどさとパワハラまがいの扱いをされて精神を壊してしまった失敗だらけの社会不適合者。今はとある路線バスの営業所で定期売ったり電話対応したり配車係の仕事をやって───いました。現在2回目の休職してます。営業所のお仕事日記を書きつつストレスや心の闇をぶつける暗いブログ

休職83日目

最近ふと思うことが多いのが「そういえば自分はパワハラまがい(2回目に関してはっ完全にパワハラだと思ってますよ。)のことされて休職するのが2回目だな」と。

 

どんだけメンタル弱いねんお前、って自責しちゃうのもそうなんですが、よく考えたらなんでパワハラの対象によくなっているのか、っていうちょっと考えたくないことも考えてしまうんですよね。

というのは「パワハラの対象にされるようなことをやってる人間」だからじゃないの?という話。まぁ結局は自分を責めちゃうお話。

 

ここで何度も書いている通りに自覚はあるんですよ、仕事は出来ない、職場内でのコミュニケーションは良好とも言えない、容姿は劣っていて、性格もクズ、ついでにクソ雑魚メンタル、特に仕事に関してはそりゃあパワハラされるわと思わなくもない。

例の嫌な先輩に関しては、自分がほぼ直接的に近い迷惑を何度もかけているのは確か。過去に書いたかわからないけど、致命的に嫌われるようなムーブを一度してしまっているのも確か。

だからってパワハラしていいことにはならないと思うけれど、パワハラされるだけの理由は残してるよね?と言われればそれは否定できない。

 

「いじめを『いじめる側』が悪いのか、『いじめられる側』が悪いのか」という、メディアだったりSNSで取り上げるとほぼ確実に炎上するテーマありますよね。

まぁ色々な経験則から言わせてもらう(まぁ小学生の時に色々ありましてね。)と、いじめという行為の責任や処罰において『いじめる側』は当然何らかの罰に処されるべきですが、『いじめられる側』にもいじめの標的になるそれだけの理由が何かしらあったりするケースは否定できないんじゃないかと。もちろんすべてのいじめにおいてこうでは無いです。本当に理解のできない感情論でいじめの標的にされてしまった子の方がはるかに多いでしょう。

 

あくまで余談ですし、ここで長々と話すことでも誰も見てない場末のブログでお気持ち表明するほど意味のないことは無いのでこういう真面目なお話は置いといて、何が言いたいかと言うと、いじめ(=今回のパワハラ)を受けた理由はやっぱり自分にも悪いところが多かったよなぁ、それだけの出来事は重ねてきてしまっているのは否定できないよなぁ、とちょっと振り返ることがあったということ。

嫌な先輩のことは、気持ちの緩解があったり関心が低くなったりすることはあれど、多分一生レベルで心のどこかで引っかかりは持つと思います。だから思うところは少なくなっても許すことは無いでしょうね。でも、されるだけのやらかしは何度してきたかわからないので、そういう意味ではずっと自分のことを責め続けると思います。自分の無能さもそうですけど、そのやらかしのせいで不利益を被った人や無駄な手間や迷惑をかけた人に対して。

だから嫌な先輩のしてきた事は許さなくても、された理由までは責めません。

 

 

なんて感情的なことを長々と書いてきましたけど、これ全てある前提に基づいた話なんですよね。

それは【嫌な先輩が「あいつの仕事の姿勢が気に入らない」とか「きつめの指導をしないと改善されないと思った」とか「あいつの仕事の尻ぬぐいでストレスを抱えていた、その解消でついやってしまった」みたいなきっかけは私にあるって理由でパワハラしてきてたはず】ということ。

「なんかムカつくからやった」とか言われたら多分理由含めて一生許しませんよ。

 

まだまだ私と嫌な先輩の関係が崩れてなくて、しょっちゅうイジられては職場に笑いを起こしてた頃、ある言葉とセットでイジられることが何度もありました。

「今の子は理不尽に何かやられることを知らないから、俺は理不尽を教えてやってるんだ」

当時は、イジるための理由付けでおちゃらけたこと言ってるのだと思ってましたけど、こういうことされた後だとちょっと捉え方変わってきますよね。